
来週に週末里親さんをしている方たちに向けてお話をすることになり、
頭のどこかで「何をお話させていただこうかなあ」と考えています。
週末里親さんとは、
施設で育つ子どもたちと月に複数回一緒に過ごす里親さんです。
参考URLはこちら…と書いていますが、難しい文章ですね。
http://www.pref.osaka.lg.jp/kateishien/satooyaseido/weekend_qa.html
児童相談所や子ども家庭福祉関係の役所の窓口にはきっと情報があるのではないかと
思います。
子どもにとっては、週末里親さんは、大切な他者になり得る可能性がある存在です。
社会的養護で育つ子どもたちは、血のつながりのある保護者が養育できない状況にあり、
子どもと継続的に寄り添い続ける人が持ちにくい状況にあります。
多くの子ども達が、保護者を通じて人間関係を拡げていく部分があると思います。
そして、そこを礎に自分の関係性を広げていったりするんですが、そこが難しいわけです。
また、施設を離れたあとも施設以外の関係性があることは、その子どもが大人になっていく負担を
和らげると思います。
私は、社会的養護で育つ子どもにとって、社会的養護の仕組みのなかで暮らしている間に
その子にとって大切な出会いを複数創っていくことはとても大切だと思っています。
喜びも困難も分け合える人は多くいたほうがいいと思うのです。
そんなわけで、週末里親さんにはとっても思い入れがあります。
社会的養護で育つ子どもたちすべてに1人ずつ週末里親さんがいれば…
施設で育った友人は、3万人社会的養護で育つ子どもがいるなら
「3万人里親を!」と話していました。私も、同感です。
ああ、前置きが長くなりました。
今日、紹介する本は、メブス(作)・平野卿子(訳)・ベルナー(絵)の『日曜日だけのママ』(講談社青い鳥文庫、1997年)です。
あらすじはこんな感じ。
施設で育った「あたし」にある日、日曜日だけのママができる。
正直「あたし」が想像したママのイメージから遠く離れたウラという人が、「あたし」の日曜日だけのママ。
いろんな揺れがあるなかで、正直なウラのありようが「あたし」の心をあっためていく・・・
この揺れる「あたし」の気持ち、ウラとの関係性はどうなっていくのか?
読者はどんどん引き込まれます。
物語に差し込まれる絵も素敵です。
「あたし」の言葉は、施設で暮らす子どもたちの気持ちがどんなであるか、
私たちに伝えてくれます。
後半、「あたし」は日曜日のことをこう振り返ります。
「そういえば、昔の日曜日はつまらなかったな。退屈だった。なにひとつやることがなかった。
日曜日は細くて長かった。ただただ、はやくすぎないかなって思ってた。いまじゃ、わたしの日曜日は太くてまんまる。
中身がぎゅうぎゅうにつまったポケットつきのコートみたい。どのポケットにも、なにかが入ってる。
楽しいことやうれしいこと、それとか、なにかしらおどろくことが。(189ページ)」
ウラとの関係は深まり、ある展開になっていきます。
その場面にある挿絵がこちら。
ドキドキしながら、「あたし」とウラは、次の新しい展開へと関係性を進めます。
そのあたりはぜひ読んでみてくださいね。
子どもにとって、週末里親さんはどんな存在か、ひいては、自分のとって
大切なおとなに出会っていくとはどんなことか、いっぱい伝わってくる本です。
この本は、週末里親さんにぜひとも紹介させてもらおうと思っています。