絵本は、子どもとの情報共有・対話に欠かせない ~性教育ブックフェアに向けて ②
2019年 10月 31日

ぐっと秋が深まってきましたね。
職場の窓から見える葉っぱたちが、少しずつ赤くなっていく様子をうっとりと眺めています。
さて、梟文庫の性教育ブックフェアに向けてのコラボ記事②です。
絵本を使って性教育をすることの意味、そもそも、なぜ子どもに性に関する情報を伝える必要があるのか、
ということをテーマに書き綴っています。
予定では4回シリーズで、今日は2回目です。
② 絵本は、子どもとの情報共有・対話に欠かせない ←今日はココ
③ 「助けて」を支えるために
前回は、子どもの参加の権利が「 聴かれる権利」と解釈されること、 権利条約第12条の一般的意見を紹介しました。
「子どもと大人相互の尊重にもとづく情報共有と対話を含む、子どもと大人の意見(views)がどのように考慮されて結果を形作るのかを学ぶ、進行中のプロセス(ongoing process)」
原文は、こちら。
This term has evolved and is now widelyused to describe ongoing processes, which include information-sharing anddialogue between children and adults based on mutual respect, and in whichchildren can learn how their views and those of adults are taken into accountand shape the outcome of such processes. (GCI2,3)
というものです。
前回は、 性教育を始めていく前提に子どもを一人の人として尊重するまなざしが欠かせないこと、
その視点があるからこそ、子どもを性の話題から排除をしないという考えが生まれてくるのではないか、
ということを書きました。
それは、上記の一般的意見でいうところの、「子どもと大人の相互の尊重」という部分だと思います。
今日、注目したいのは、「情報共有と対話」というところです。
子どもが意見を表明するには、情報が不可欠です。
それは、大人も同様。
私たちも、何かについて自分の考えや意見を述べる時には、事前に調べたり何かを読んだりすると思います。
テレビを見たりもすると思います。
でも、子どもの場合は、それらの情報が多くの場合大人仕様にできているため、
その情報を自分の理解に合う形で受け取ることができません。
外国に行ったときに、自分のわからない言語の国で、
飛び交っている言葉が部分的に分かったりする程度でほとんどわからない、
そういう状態に似ていると思います。
となると、子どもは、必要に応じて自分に分かる形で情報提供されない限りは、
意見そのものを言えない状況に置かれてしまいます。
性教育で、まず子どもの権利と、子どもにプライベートゾーンと性器の名称を伝えるのは、
子ども自身が自分の状況を説明するために「言葉を獲得する」ことを支える目的があると思います。
(ちなみに、プライベートゾーンを伝えるには、この絵本がおすすめです 『いいタッチ・わるいタッチ』 )
つまり、子どもにとって情報共有は、
1つ目に子ども自身が自分の置かれた状況について自分の理解に合う形で知ること、
2つ目に自分の状況を説明したり、自分の思いや考えを伝えるための言葉を獲得するという2つの役割を果たしていることが分かります。
そして、絵本という媒体、絵本を読むという行為は、子どもにとっての情報共有という点において非常に優れていると考えています。
こどもの本の専門店メリーゴーランド京都の鈴木潤さんは、
絵本を子どものためのものではなく、子どもから読める本だとおっしゃっています。
だから、メリーゴーランドは、「こどもの本」の専門店。
潤さんの解釈に私は心から同感。
子どものためのものではなく、大人と子どもが一緒に読める本なのです。
さらに、情報共有にとどまらないところが絵本のよいところ。
それは、絵本がもつ「物語の 豊かさ」です。
この点については、今までも語られ、語り尽くされることがないですね。
私は、それを娘さんに教えられました。
その時の自分自身の体験を綴った記事がありますので、こちらをご覧ください。
この記事のなかでは、子どもは、『あーんあん』(せなけいこ、福音館書店、1972年)を読んで、
自分の状況を理解したのだと思います(情報共有の1つ目)。
絵本を「読んで」と持ってくることで、
私たちに自分の気持ちを伝えようとしています(情報共有の2つ目)。
そして、自分の状況を乗り越えるために、繰り返し読むことで物語の世界にひたり、
今起きていることを乗り越えようとしていたのではないか、と思うのです。
これが、3つ目の絵本のもつ物語の豊かさだとしみじみ…。
この経験は、別の場面にも活かされていきます。
子どもが「読んで」と持ってくる絵本には、子どもの思いが込められている。
それ自体が意見表明だと学んでいたからこそ、気づけたエピソードです。
とここまで書くと、めちゃ良い親みたいですが、
私は全然良い親ではなく、自分の状態が悪くなると(疲れていたり、お腹すいていたり!)
すぐにいらいらして子どもに当たってしまいます。
声がすぐに大きくなって、どなってしまうことも少なくありません(泣)。
一緒に遊ぶのも根気がなくて、すぐにだれます(笑)。
まあ、そういう恨みつらみは思春期に全部返してもらおうと思いながら、子育てさせてもらっています。
ただ、子どもにきつくあたってしまった、不条理に怒ってしまった記憶って、
後々の自分をひどく苦しめるんですよね…。
そういう決定的にひどい状態に陥る一歩手前で、別の方向に舵がきれるときがあります。
そういう時に、私はずいぶん絵本に助けられてきたなあと思います。
そして、これからも、助けられることでしょう。
子どもの権利を知ること(子どもに助けてもらうという視点が持てます。
大人がコントロールする、常にリーダーシップ取らなくても良いとも思えます)や、
絵本の持つ豊かさを知っていることで、子育ては少しラクになるようにも思うのです。
さて、今日のところはここまで。みなさま、良い一日を。