こんにちは。
梟文庫の生教育フェアは、たくさんの学びと出会いの余韻を残し、修了しています。
私は、ちっとも記事が書けなくて、
結局、年を越しました・・・。
さて、春節を迎えるころの更新となりましたが、
性教育ブックフェアに向けての最後の記事をアップしたいと思います。
これまで、意見表明・参加の権利と
絵本との関連性について書いてきました。
前回までは、子どもの意見表明を保障していく
「情報」という役割を絵本は担っているというところで終わっています。
今日は、絵本といってもいろいろな段階があって、
性教育をテーマとした絵本はどこに位置づくのか、
そして、性教育をより効果的にしていくためには
どういった関係性が大人と子どもに必要とされるのか
ということについて
書いていきたいと思います。
小学校での読み聞かせのボランティアをするようになって、
気づいたことがあります。
私は、ボランティアを始めた当初、
このブログで紹介しているような絵本(AやBにあたる本が多いです)
を読んでいました。
そしたら、なんだか自分の子どもに読んでいるときと違う・・・。
授業テーマに沿って、学生さんたちに読んでいるときとも
なんだか違う・・・。
なんだかうまく伝わってないような気がしたのです。
改めて、気づかされたのは、
絵本の読み聞かせというのは、
場面と関係性を土台になされる営みなのだ、ということでした。
学校が始まる朝という時間帯に
初めて出会う場合も多い、絵本を読む「近所のおばちゃん」
という場面であれば
A絵本に親しみ・楽しむプロセスから
始まるのではなかろうか、と思ったのです。
それを図にしたものが下のものです。
Aの本は、このイラストにも載せているような
林明子さん、加古里子さんのような物語を楽しむ絵本だったり、
季節をかじる絵本だったり、新しい視野を広げてくれるような絵本です。
街中の本屋さんで手に取ることができるような絵本。
現在、私が読み聞かせボランティアで紹介しているのは
そんな絵本です。
Bの絵本は、もう少し子どもの内面に分け入っていくような絵本です。
楽しくて面白いだけじゃなく、
少しなにか、大人も子どもも何か心に感じさせるような絵本。
そして、Cの絵本は、子どもが抱えている気持ちを外に出すことを助けたり
何か困っていることから脱するためSOSを出せる絵本です。
私は、子どもの意見表明・参加の権利を保障していくことの最大の意義は、
子どもが周囲の大人に「助けて」と言えることだと思っています。
「助けて」と言えるってどういうことでしょう。
それは、いくつもの段階によって支えられています。
1 自分の困っている現状をおかしいと気づけること(感情への認知)
2 困っている現状をなんとかしたいと思えること(権利への自覚)
3 そして、具体的にその手立てが見えていること(社会資源の認知)
4 その手立てが信頼に足ると思えていること(社会資源への信頼)
5 それを説明・表現する言葉を持っていること
といういくつもの層によって成立しています。
大人でも困っていることを表明するのは難しい。
弱っているときに助けを求めることは本当に難しいことです。
そして、暴力・貧困は、その人の力を奪います。
上の「助けて」を言うために必要な段階と照らし合わせて考えてみると
以下のようなことが起きているように思います。
1 感情を麻痺させ
2 権利が奪われることに気づかせず
3 どうにもできないと無力化し
4 人への信頼を奪い
5 「声」を失わせる
子どもは、大人と比べて、
力も知識も、言葉も持たされていません。
そして、悲しいことに、それゆえに暴力や権利侵害にも遭いやすい。
だからこそ、私たちに求められているのは、
この「助けて」と言えるまでの5つのプロセスを
いかにして保障していくか、ということでは
ないでしょうか。
そして、「助けて」と言えることを目指す状況と
いうのは、ある意味、もっとも厳しい状況に
おかれた子どもを想定しています。
もっとも厳しい状況を生きる子どもを想定するということは
そこまで至っていないけれども、
さまざまに困難を抱える子どもをも
支えていくのではないかと思います。
性教育の絵本は、すべてがBやCに該当する絵本ではなく、
AからCすべてに該当すると思います。
関係性と場面に応じて、
子どもたちに必要な情報を提供していけたらと
思っています。
3回シリーズでお届けした今回の記事
長くお付き合いいただいて、
ありがとうございました。